ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

おくやみの言葉を戴いたこと、一生忘れません

2021.06.12 
深夜に、病院の霊安室から自宅に連れて帰り、一日、お通夜です。
子供たちと心行くまで、静かに寝ている妻を見送りました。
葬儀などというものを行うつもりはなくても、亡き者には安心してあの世に旅立ってもらわなければならない。
妻の兄弟から供花を贈られ、それを飾ったので、枕辺が華やかになった。
動けた頃まではよく食事会などに誘い合っていた、妻の懇意にしていた三名の方にのみ連絡を入れ、顔を見に来てもらった。
一時は退院後のスケジュールまで話していた、ここ三年お世話になりっ放しであったケアマネにも報告をして、やはり顔を見てもらった。
まったくの内々の見送りにしたので、ご近所、自治会班長さんなどには一切この事は通知しなかった。
隠したかったのではなく、最近はほとんど付き合いがなくなった方たちにまで、妻の死を知らせて気持ちを煩わせる必要もない。
入退院の繰り返し、在宅介護の人の出入り、それを見て来ている、それがいつの間にか無くなった、その程度の安否でいい。
位置関係が行き止まりの家であったことも、そこで起こったことはそこで完結する、性条であったかもしれない。


今朝8時前に、妻の遺体は葬儀社に引き取られて、一日、安置室に保管された後、明日、火葬にふされる。
つい先まで、人の形をして自分たちの前に居た妻は、これからは思い出の中にのみ、生きる。
想い出の中の妻は、生きていた時以上に、能弁に語りかけてくる存在になって、現われて来てくれるだろう。
しばらくは相方を失った誰もと等しく、涙にくれるときが多いだろうが、それも時間が解決してくれるはずだ。
遺骨は妻の願い通りに、海上散骨とする。
狭い、お墓になど入りたくない、自由に動けなかった妻の、正しい有り様だ。


多くの方から、おくやみの言葉を戴いたこと、一生忘れません。
折を見て、個別のコメントいたします。
ありがとうございました。


写真は、ジュエも見送りしてくれた