ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

執着は終着?

2021.01.17 ある部分については実に強い粘着心を見せる。
ベッドから起して、パジャマの上からベストを着せる。
衣類の着脱は、今や完全に自力では叶わないことの一つになっている。
元々がリュウマチで関節に痛みが有るので、腕の曲げ伸ばしに苦労する。
袖に腕を通すのは、片方は伸ばしたままでできるが、もう一方は必ず肘を曲げなければ通らない。そんな当たり前のことがスムーズにできなくなるのが老者の常だ。
車いすに乗せ、まずはその場から移動しようとして、いつも声を張り上げる。
ひざ掛けを忘れていると指摘するのだ。
こちらは忘れているのではなくて、身体を広い場所に移してから、その後のあれこれを算段しているのだが、まさにふだん頭の上がらない夫のミスを指摘してやったとの思いがあるのだろう。
本人の頭の中にはゆるぎない順序があって、それが崩れると取り戻せなくなる、その心配があるのだ。
計算がまさに、これにあたる。
認知症の診断に、数字の理解力が試されるのは、このためだ。
一つのことに執着するのは、それが終着に近づいていることの表れだろう。
こちらはミスを指摘されても、笑って応えてやるだけだ。