ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

善悪彼此を吞み込んだようなもの

2021.04.25 昭和20年(1945)は酉年で、何でも突いていく、と子供時分から言われた。
鶏の地面をせわしなく突く様を見て、そのように形容したものだろう。
他の者はいざしらず、まことに自分はその性格をよく体現している。
熱しやすく冷めやすい、飽きっぽくて次に立ち向かう、一か所に立ち止まるのが苦手な部類のようだ。
まさに「ココッ、ココッ!」と声を発しながら、次から次にと移っていく。
そして昨日、病院に飲み物を持って行っての帰り道、バスの窓から外を眺めながら思いついた。
「こうしてはいられない」
その時は、何をこうしてはいられないのか分からなかったが、夕方飛脚便で、Yahooオークションで購入した本が届けられた。
三冊1000円で落札したのだが、送料が800円もかかり、合わせて1800円の出費、
そのとき気づいた。
自転車で10分も漕げば、ブックオフに行き当たる。
そこで同じ本を探せば、おそらく一冊100円ほどではなかろうか。
上中下三巻揃っているのを「見っけ」と見境もなく、すぐに飛びついた。
鶏がミミズを見つけて「美味そう」と、善悪彼此を吞み込んだようなものだ。
「こうしてはいられない」
は、決してそのようなものではなかったはずだが、悲しいことに、いっとき我を忘れて善悪彼此に突き進んでいた。
パソコンに向かい、オークションの売り手になろうと『〇×書房』なるものをこしらえ、三巻セット1200円+送料、で再販してやろうとした。
ひまを持て余している、売り手と買い手、世の中には居るんじゃなかろうかと思った次第です。
1945年は終戦の年、種も畑も荒れていて、通常の年より半分ほどの収穫しかなかったと記憶している、タケシ流に言えば、ジャンジャン、となります。