ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

庭花がどんな色をして咲いているか、宇宙から見える世の中になった

2022.03.20
昨晩は久方ぶりに寝つきが悪かった。
考えることが多いのは、いいことだ。
ああでもない、こうでもない、と、頭に描いたパズルをはめ込んでは、やり直して眠れなくなる。


若い時分、高校生の頃が一番よく本を読んだ。
商業高校だったのに、そちら方面ではない、困った本ばかり。


ヒルティの「眠れぬ夜のために」
モンテスキューの「随想録」
小林秀雄の「ゴッホの手紙」
阿部次郎の「三太郎の日記」
芥川龍之介の「侏儒の言葉」
西田幾太郎の「絶対矛盾的自己同一」←これはネットで調べた、


雑誌の対談の中で、ヒルティの「眠れぬ夜」を茶化した、男が居る。
太宰か安吾か、そのあたりの無頼派と呼ばれた、
あるいは戦後闇市派の野坂昭如であったか、都会派吉行敦之介だったか。
「眠れぬ夜」はせんべいの一枚か二枚も齧ると、腹がくちくなって眠くなる。
太宰治や坂口安吾は若くして亡くなったので、自分のこの歳になると、彼ら作家たちがやんちゃ坊主に思えてくるから不思議だ。
野坂さんはどうしているのかな。


不思議と言えば、上記の瞑想本・哲学本を読んだお蔭か、夢を見た。
メールを開けていた。
「あなたは最近田舎に帰ったことがありますか」
「あなたの画面で、この旗の一番下は何色になっていますか」
どうやら、googleアドセンスの審査員からの質問のようだ。
「田舎」はcountryの日本語誤訳だろう。
ウクライナのことがあるので、慎重な審査になっている。
夢の中でうまく答えられたかどうか。
朝起きて、メールが届いていたわけではない。
自分のブログを開けて、広告が載っていたので、審査は合格したのだとわかった。
Googleは、ユーザーのパソコンの中にまで入り込んで、道案内してくれる。
我が家の庭花がどんな色をして咲いているか、宇宙から見える世の中になった。

今朝はいささか、頭が働かない。

2022.03.18
昨日、突然に昼時、昔からの友人から電話が有り、すぐに応じて、夕方4時過ぎから横浜線中山駅近の居酒屋で、お酒を飲んだ。
ほぼ似たような境遇であるので、話が進み、酒量も進んで、閉店まで浴びるほど飲み、
今朝はいささか、頭が働かない。
ちなみに普段の晩酌は、熱燗1合ほど。
この日は、生ビール二杯、熱燗二合×二本、少し過ぎた。
友人は、焼酎派、ウーロンハイ、
帰りの電車を心配したのか、淵野辺駅まで着いて来て、タクシーに乗り込むまで見守ってくれていた。
そこまでは酔っぱらっていなかったのだが。


昔、渋谷でよく飲み、終電がなくなって、タクシーに交渉したものだ。
「相模原まで1万円で行ってくれたら、乗る」
たいていの運転手が、OKだった。


寂しい記事になったので、テキトーな写真を載せて、お茶を濁します。

自分は昔から風呂屋の桶、

2022.03.17
昨夜の東北地震、すでに寝ていたが、目覚めて、揺れが長く続く、これは大変に大きな地震だと、収まったのですぐにNHKテレビをつけて、震度6強とある。
相模原は震度4だった。
11年前の東北大震災のときは、丁度、妻が膝に人工関節を入れたばかりで、国立病院に入院していて、その見舞いに行く途中だった。
バイト先の軽トラックに乗っていて、電線がいやに揺れているなとその程度の感じ方だったが、病院に着いて、玄関先に大勢が出て来ているので(建物の中は心配)、その時の震度は5弱だったように思う。
今見るテレビニュース、大きな被害が出ていないようなので、まずは一安心です。


さて、この先は昨日の内に下書きしていたので、やや、気勢をそがれていますが、……


昨日は日がな一日、のたりのたりしたので、屈託がなくなった。
考えると、最近は、好不調の波の繰り返しをしている。
還暦を迎えて早々と会社を畳んで、迷う事ばかりの今日まであったが、こんなものなのだろうなと、自分自身に納得するようにしている。


昨日の自分のブログ、「ひんぱんに足がつる」
これを「首が吊る」の間違いではないのかと、昔の文学同人仲間のように、まぜっかえす人が居なかったのは、muragon村の人々の誠実さが分かったようで、そんなことを考える自分に、また沈みそうでもある。


muragonに載っている広告、アニメのエッチ物語を観て感じたこと。
現代のマンガ、アニメの表現に、文章が敵うことはないなと思った。
文章がマンガ、アニメの手軽さに対抗できるのは、多くの読者の先導になるであろう、
「これは名作である、これは今年一番売れた本である、これは有名な作者の本である」
その思惑から外れた、自身の希求から書物を探し当てたときのみ、かな。
余生を物書きであろうとしている自分が口にしては、
「それを云っちゃあ、おしめえよ」なのですが。


自分は昔から風呂屋の桶、
「云うばかり、湯ばかり……」


Muragonブログの多くの方に見られる、テクニック、
文章は、写真・イラストなどの添え物、二次的なものになっている。
確かにその方が面白く見られる。
逆に、文章の多いブログはメンドクサイで敬遠される(自分なども、たぶん)
最近、自分好みのお方のブログに出会って、久々に「喝」を貰っている。
自分は「蓼食う虫」か。


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