ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ソーメンと梅干、少年野球

2022.05.29 
今年初めて昼にソーメンを食べた。
タマゴ焼きとキュウリ・トマトの彩り。
立派に、白、黄、緑、赤、になっているのに悦に入って、
二本目の途中から、梅干を肴に飲んで、よい機嫌になっている。
塩をなめなめちびる、酒飲みの爺さんの態。


昔、梅干は一家に一壺の保存食。
漬けたしその葉をたけのこの皮に包んで吸って、あまりの酸っぱさに飛び上がって、それでも慣れて、よくすすったものだ


昨日、スーパーに行く途中に、小学校の校庭で少年野球の練習をしていた。
自分も、30年も前に息子の親コーチに引っ張り出されて、毎日汗を流していた。
軽ワゴン車の座席を倒して、子供たちをいっぱい乗せて、たぶん詰め込めるだけ7、8名は乗せて試合会場に行った。
今の親コーチにはとても許されない暴挙だろうと思うと、時代を感じさせるものがある。



自分の親は明治の終わりの産まれ、それで幕末の、
「高杉晋作が前の街道を通って京に向かって行った。伊東の殿さまはどうすることもできず道を開けて眺めるだけだった」と語ることができた。
曾祖父は、たぶん、明治維新を迎えて、そこから3,40年前の江戸末期などを語ることができた。
当時、江戸時代はそれほど昔の事ではないのだ。


自分の好きな石川啄木の詩に、たしかこんな文が有ったように記憶する。
「見よ、大空に高く飛行機の飛べるを!」
これを覚えているのは、叶わぬ空の青さに、自分は憧れたからだろう。
少年野球の、子供たちが打ち上げた白球もまた、
「見よ、大空に高く……」
親たちには思えることだろう。