ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ブログは呟きなんだな

2022.12.14 
今日は昼、めったに食べない温か蕎麦にした。
信州信濃の蕎麦よりも、
わたしゃあなたのそばがいい。
と言いながら、食べる蕎麦の楽しさよ
スーパーで買い、ソバをゆでて、
昨夜の残りのほうれん草を乗せて、かき揚げ天ぷらも贅沢に、
ビールを最初から、350×2、用意して、
まだまだ元気な室内犬のジュエとおかしな会話をしながら、飲む、食べる、



昔、カスというものを同じ村内の一軒のおじさんが売っていた。
肉類の揚げカス、固まったもの、これがとてもうまかった。
現に普及している、牛肉、豚肉、などはたぶん社会人になるまで食べたことがなかった。
その代わり、飼っていたニワトリや、ヤギがいつの間にか姿が消えたので、たぶんそれは卵を産まくなったニワトリ、乳を搾れなくなったヤギの宿命、それまで飼育してくれた家人の胃袋に入ったのだろう。
魚は、川でとれるウナギ、ナマズ、小魚などを干し物にして食べた記憶がある。
我が家で自給できるのは、米と野菜、のみ。
肉類が不足したので、自分はやはり生育未熟。


モロッコが勝ち進んでいる。
先日、映画yahoo『カサブランカ』を観た。
ボギー、君の瞳に乾杯、now I’dont know イングリッドバーグマン
映画『カサブランカ』のラストがあのようなものであったとは、記憶の頼りなさを思う。
だいぶ前に、『望郷』ジャンギャバンのペペルモコ・カスバを観た


時代を日本の明治維新、
出来れば1871年、自分の曽祖父たちの青春を、小説に書いてみたいと考えている。
80歳まで3年間あるので、何とかなるだろう、今は昼ビールの暢気さで。
一杯一杯復一杯。


tunoinshi homepe

かたじけなさに涙こぼるる

2022.10.29
自転車で買い物に行く途中に小学校の前を通る。
今日、運動会の日だった。
校庭の中、道路側の柵の金網越しにも、大勢の父兄、じじばばたちが鈴なりで囲んで、
子供たちの走る、投げるに、歓声を上げていた。
自分の子供たちも、そこで、40年近く前に、躍動していた。
妻とももちろん応援に行っていた。


自転車で眺めながら通り過ぎる、そのとき湧き上がる思いがあった。
かたじけなさに涙こぼるる。
家に帰って、誰の歌であったか調べて、さらに合点した。


西行
なにごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる


これは伊勢参りをした折の歌らしいが、伊勢でなくてもどこでもいい。
歳をとると、どんな景色を見ても、そのように感じるときがある。
かたじけなさに涙こぼるる。


西行の歌をもう一つ、
ねがわくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ


享年73歳、西行は旅立った。
自分はまだ死ぬわけにはいかない、
ねがわくは桜花咲く春とならん、でありますように、と思う。

ポロポロと泣いた

2022.09.13 
自分の家から、義祖父の住んでいる総社駅近くの長屋まで、たぶん5キロほどある。
小学生が、のこのこ思いついて歩いて行く距離ではない。
真備町から総社市まで、バスも通っていなかった。
伯備線清音駅まで子供の足だと徒歩1時間、清音から総社まで一駅6分、駅から数分の義祖父の住まいまで、そんな回りくどい経路を誰も取らない。
おそらく自転車で通ったものだろう。


自転車も、現在のママチャリはまだ田舎に普及していなかった。
昔の、荷台の大きな大人用、子供には跨って乗れない。
逆三角形のフレームの間に、脚を入れて、窮屈にペダルを漕いでいた。
大人たちの自転車に乗るためには、その格好で乗るしかなかった。
少し大きくなると、サドルに跨れるが、足が地面に届かない、宙乗りでペダルを蹴って回すしかなかった。
背が伸びるまで、それでどこにでも行った覚えがある。


義祖父は、夫に若死にされた寡婦の祖母と、どんな取り持ちであったか婚姻し、祖母が亡くなった後、村を出て総社駅前の長屋に住み、その時には若い女が同棲していた。
自分が10歳、母が42歳、その上の世代であるから、70歳前後、今の自分と似たような年頃のジイ、しかし、見かけは若かった。
母は内心、「おじいさん」を嫌っていた。
義祖父の背中には一面のモンモンが彫ってあったからである。


通りに面した玄関の引き戸を開けると、土間があり、その奥に畳敷きの一部屋。
そこにどっかと胡坐をかいた、頑丈なダルマさんのような図体の老人が、こちらを睨みつけている。
上がり框には、真っ赤な口紅を引いた、どこか物憂げな雰囲気の蓮っ葉姐さんが、煙草をプカプカ噴かせている。
戦後10年、その頃の世相を描いた映画に出てきそうな情景であった。


自分は用事があって、義祖父の住まいを訪ねているのではない。
行けば「よく来た」となにがしかの小遣いをくれるので、それを狙って、えっちらと横乗り自転車を漕いで行くのである。
疲れるから、何度も途中で自転車から降りて、押していた。
母親は「おじいさん」から小遣いをもらうことを快く思っていなかった。
なにしろ、「おじいさん」の肩肌と背中には、人を畏怖させる刺青がある。


その日、義祖父のオンナなのか、賄い婦なのか分からないが、真っ赤な口紅の同居人は遠路はるばる訪ねて来た10歳の自分に優しかった。
近寄りがたく、自分もどういった人間関係かわからない年頃であったので、できるだけ避けようとしていた。
すぐ近くに、映画館があった。
オンナは、そこに自分を連れて行ってくれたのである。


『別れの一本杉』春日八郎
そこで自分はポロポロと涙を流していたのである。
『別れ』のつらさに、泣いたのである。
泣けた、泣けた~ こらえきれずに泣けたっけ~
「おじいさん」のオンナは、そんな小学生に驚いて、自分の化粧の崩れた面は棚に上げて、
「この子は感受性の強い子じゃ」と「おじいさん」に話していた。
自分は日本語の中で、『別れ』という言葉に、一番感銘する、と思っている。