ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

自分は昔から風呂屋の桶、

2022.03.17
昨夜の東北地震、すでに寝ていたが、目覚めて、揺れが長く続く、これは大変に大きな地震だと、収まったのですぐにNHKテレビをつけて、震度6強とある。
相模原は震度4だった。
11年前の東北大震災のときは、丁度、妻が膝に人工関節を入れたばかりで、国立病院に入院していて、その見舞いに行く途中だった。
バイト先の軽トラックに乗っていて、電線がいやに揺れているなとその程度の感じ方だったが、病院に着いて、玄関先に大勢が出て来ているので(建物の中は心配)、その時の震度は5弱だったように思う。
今見るテレビニュース、大きな被害が出ていないようなので、まずは一安心です。


さて、この先は昨日の内に下書きしていたので、やや、気勢をそがれていますが、……


昨日は日がな一日、のたりのたりしたので、屈託がなくなった。
考えると、最近は、好不調の波の繰り返しをしている。
還暦を迎えて早々と会社を畳んで、迷う事ばかりの今日まであったが、こんなものなのだろうなと、自分自身に納得するようにしている。


昨日の自分のブログ、「ひんぱんに足がつる」
これを「首が吊る」の間違いではないのかと、昔の文学同人仲間のように、まぜっかえす人が居なかったのは、muragon村の人々の誠実さが分かったようで、そんなことを考える自分に、また沈みそうでもある。


muragonに載っている広告、アニメのエッチ物語を観て感じたこと。
現代のマンガ、アニメの表現に、文章が敵うことはないなと思った。
文章がマンガ、アニメの手軽さに対抗できるのは、多くの読者の先導になるであろう、
「これは名作である、これは今年一番売れた本である、これは有名な作者の本である」
その思惑から外れた、自身の希求から書物を探し当てたときのみ、かな。
余生を物書きであろうとしている自分が口にしては、
「それを云っちゃあ、おしめえよ」なのですが。


自分は昔から風呂屋の桶、
「云うばかり、湯ばかり……」


Muragonブログの多くの方に見られる、テクニック、
文章は、写真・イラストなどの添え物、二次的なものになっている。
確かにその方が面白く見られる。
逆に、文章の多いブログはメンドクサイで敬遠される(自分なども、たぶん)
最近、自分好みのお方のブログに出会って、久々に「喝」を貰っている。
自分は「蓼食う虫」か。


ひげ爺のwebサイト