ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

足の痛みは頭に適度な刺激

2021.02.08 起床時に足の甲の腫れが引いていて、皺ができているようなのを話すと喜んでいたが、それには足首に枕を敷いて浮かせて寝かせたせいもあったかもしれない。
しかし、ベッドからの移動、車いすに乗せてテーブルに向き合うなり、
「足が痛い」という。
「そうか。腫れは引いているのに別の痛みかな」
「ズキンズキンとしている」
それでも食べることは食べているので、大事でないのがわかる。
不思議なことに、今朝は殊の外、頭の回転がしっかりしている。
先に済ませた夫のパンくずなど、テーブルの上の汚れを一掃するよう指示できるし、
飲み物の、爽健美茶、桃水、の名前がスラスラ出るし、
何より、新たに追加になった、マイシンが薬箱に並んでいないのを的確に指摘する。
足の痛みは、頭に適度な刺激を与えて、覚醒させるのかもしれない。
食後のすべてのルーティーンが終えて安心しきっているのか、
ふと見ると車いすに乗ったままふんぞり返って眠っている。


昨夜の「麒麟がくる」を見ながら、
「あれ、まだやっている」
それは本能寺が終わって、たぶんいつもの45分過ぎのことだった。
「今日は15分延長だよ」と話していたが、そのことはすでに忘れている。
そして、「まだやっている」15分間は蛇尾に思えた。
竜ではなく、駆け足で去る、麒麟の蛇尾に見えた。
歴史事実に縛られるしかない、大河ドラマの現実でしょう。
見終わって、やはり信長のジパングを見たい思いが強くなっていた。
さらに言えば、光秀と信長がタッグを組んだ、日本はどんなものになっていただろう。
徳川の世を見て来た現代に生きる者の、見果てぬ夢、
あくまで私見です。


都之隠士の世界