ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

声に出して読みたい日本語

2022.01.15 
やることもなく、片付けでもしようかと、電話台の下の棚に立てかけてあるノート類、訪問介護の連絡帳とか自治会報とか市の案内冊子など整理していると、その中に妻の日記ノートを見つけて、感じ入ってしまった。
そこら辺りは普段、妻の手の届く片づけ範囲で、自分が永年、触っていない。
アラン・ポーの『手紙』のような発見で、そのような所に自分の知らない妻の遺品があったことに、軽いショックを受けた。


今日の或るブロガーさんの記事、映画「濡れた赫い糸」に出て来る置屋の大将奥田瑛二が口遊む歌、―山のあなたの空遠く
自分はもちろん、多くの大人たちが知っている、
それが妻のノートの最初に出ていた。


妻の寝込んだままのベッド生活になる、たぶん四、五年前に、
「字の練習をする」と云って、食卓にしがみついて書いていたのは知っていた。
その時にはもう手指の変形で、まともにペンも箸もフォークも握れなくなっていた。
それで書く練習をしていたのかと思うと、今更に不憫に思う。
気づいてはいたが、気遣いが足らなかった。

『耳』私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ
『おなじく』おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうじやないか
どこまでゆくんだ ずっと磐城平の方まで ゆくんか

いのちなき砂のかなしさよ。
さらさらと握れば指のあひだより落つ


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ


ふるさとの訛なつかし 
停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく


『敦盛』
人間五十年化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。
一度生を受け滅せぬ者の有るべきか。



それとは別に、2006年(60歳)、2007年(61歳)のノート日記が二冊あった。
還暦を迎えて、感じるものがあったのだろう。
ブログの初心「妻を想う」に立ち還って、明日からしばらくはそれを写経のように声に出して、自分の残生の糧としたいと思う。