ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ヨカッタ、ヨカッタ、の一日

2021.06.01 何はなくとも、まずは一献、
杯を頭上に掲げて、オメデトウゴザイマス、ヨカッタ、ヨカッタ、と唱えてやりたい。


1時過ぎに9F病棟に着き、2時15分に病室を出て4Fの手術室に向かい、その入り口で別れて、いつでも電話のつながるようにして病院内で待機すること暫し。
2時間も経て、そろそろと思い、4Fの待合で腰かけて待っていると、50センチ立方ほどの銀色の函がキャスターに乗ってどこかへ運ばれていった。
手術室の開閉扉は背の方向になるので、人が通り過ぎたとわかるまで、視界には入らない。
ちょうど片足の収まりそうな大きさのBOXであったので、時間的にたぶん妻の足だろうと勝手に推察していた。
それからしばらくのちに連絡があり、受付に行き、指定の部屋で待っていると、医師の手術後の説明があり、ICU室に行かなくても元の部屋に戻れますと言われて、9Fの廊下で待って、妻が生還して帰って来たのは5時半、だった。
半身麻酔のため、意識は普通に有り、声をかけて確認し合ったら今日のところはもう用事はない、退散しようとして妻に窘められた。
「まだ、居て!」
個室なら、そうしてやれるが、そこは病棟入り口の廊下、ストレッチャーよりも幅広の長ベッド、介護士が二人係で付き添ってきている、通行の妨げにもなる、お互いの顔を見れば、もう意思は足りている、声がはっきりしているので、オロオロとしてふためくものではない。
それでも数分ほどその場で留まって、介護士に預けた。
別れ際の妻の捨て台詞はいつもの調子で、
「薄情者!」
それはそれで妻の手術が無事に成功した暁の、証拠の軽口。
まずは、ヨカッタ、ヨカッタ、の一日だった。


※読者登録ありがとうございます。どなたかわからないのでここで御礼申し上げます。


写真は、箱根