ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

目に動きがないのを、初めて見た

2021.05.26 大学ノートにびっしり書かれた日誌というものを、特攻隊員だか戦地兵だかの遺品に、その表紙の写真だけ見た記憶がある。
一般的には、A4サイズ、30行×40枚のKOKUYOノート。
死を見つめていた彼らに及ばないまでも、いずれ半分は棺桶に足が届いている自分にも、感じるものはある。
毎朝、ノート1ページ分を埋めるつもりで書いているので、1月から5月まで計算すると150日、二冊目の「日誌」がほぼ満杯になった。
戦場の彼らには、そのような時間は与えられていなかった。
自分にはまだ、残り時間はある。
大切に使わなければならない。
気づけば、驚きの分量である。
「さあ、日記を書くぞ」と固い意志で始めても、
たいていは三日坊主で終わるものだが、そうならなかったのは読んでくれる人がいる、その思いある故。
あーりがたやの、ありがたや、の昔人間に付き合ってくれる奇特な御仁も現れた。
3年も4年も前から一日も休まず続けている人が居るのには、ただただ驚嘆する。
意見、考察、感想、を発表する場所があるということは、荒涼砂漠で見つけたオアシスに駆け込んで、誰彼となく抱擁しあうようなものだ。


某月某日、四時起床、暫時黎明、天気晴朗、赤色月食、必見可否、


とりあえずは今日も、無事是名馬(翁)、な一日を目指して行こう。
昨日、病院に行き、医師と士長と病室に入り、妻にアプト切断の話をすると、黙って聞いていた。
目に動きがないのを、初めて見たような気がする。


写真は、高野山