ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

前垂れは我が家の食事マナー

2021.02.18 夕食を作っていると、何か声を出している。
ワカメスープと鶏肉を細かく切ってフライパンで焼いている忙しい時に、言う事ではないのに、そこまで頭がまわらない。
「ああ、あれ下さい!」
言葉には出て来ないが、テーブルに向かって待っているので、前垂れを要求しているのだとわかる。
最近は夕食の時に前垂れを付けるのが妻のマナーになっている。
「顔をもっと前に出して食べれば」
と何度も注意するのだが、車いすの背凭れになったまま、おぼつかないフォークで口に運ぶので、途中で胸から膝上にと落ちるのだ。
それを手で探って拾って食べている。
床に落ちたものは踏んづけてもならないので、その場で下にもぐって片付ける。
「すみませんね。お世話になります」
よく吟味すると、この言い方はおかしいのだが、しっかりと言う。
決してわざと丁寧言葉で話しているのではないのだとわかると、それはそれで一つの衝撃ではある。
ベッドで抱え起こして正しい姿勢にさせたとき、横たえて中央に寝かせたときなど、
「ありがとうでございます」が自然に口から出る。
「すみません」「ありがとう」だけでは言い足らなくて、「お世話になります」「でございます」がまったく外連味なく衝いて出る。
妻の頭の中で、連れ合いに感謝する気持ちがそう言わせているのだ。
「まだ早いだろう。食べる段にエプロンは着けたらいい」
前垂れを付けて食事するというのはいかにも不細工に思えて、エプロンと呼んでいるが、考えれば上流家庭のマナーにも首から白布をかけて食事する景色を見たような気がする。
我が家もついに妻のお蔭で上流家庭の仲間入りをしたか、と思わなくもない。
水曜日の、街に出て遊びをせんとや、は不発に終わったので気持ちが苛々していて、つい強い口調で妻を詰ってしまって、ハッと吾に帰った。
誰も悪くない、こんなものだと納得する自分がいた。


都之隠士の世界

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