ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

今日はバレンタインデー、らしい。

2021.02.14 寝入りばなに、何か大きな揺れを感じて飛び起きた。
時刻を見ると23時08分、しばらく止む様子がなく揺れが続いた。
これは大きな地震だとわかり、急いで階下の妻の元に走った。
薄暗がりの中で、静かに寝ている。
あの揺れに気づかなかったのかと顔を覗き込むと、光るものが見えた。
「大きな地震だったわねえ」
テレビをつけると、福島沖震度6強、神奈川県も震度4となっていた。
東日本大震災が発生したとき、ちょうど病院に見舞いに行く途中の軽トラックの中で、前方の電信柱が揺れ、電線が激しく波打っているのに、あわてて車を路肩に止めて収まるのを待った。
この時は、妻は国立相模原病院に入院していた。
病院に着くと、玄関先に大勢の人が集まって不安げに外の様子を窺っていた。
国立病院は古い建物なので、外の方が安全だと思ったのだろうか。
病室で、大津波の映像を見た。
息を呑み込んだまま吐くことができない、あまりに衝撃的な光景だった。
妻は膝に人工関節を入れる手術をしたばかりで、一人では起ち上がれない。
看護士が来て、
「大丈夫ですよ。皆で抱えて安全な場所に移動するようになっていますから」
このときの相模原は震度5強か弱だった。
今日の震度4に動転しているようでは、まだまだ人生の達観になっていない。
あれから10年、そんな戯れ歌の文句があったような気がする。
10年ひと昔、という言われ方もする。
今から10年先にはこの家はどうなっているだろう。
どちらも生きていることにはなっていないだろうことは、たぶん、東南海大地震が発生する確率以上に確かだ。
世間は今日、バレンタインデー、らしい。
テレビはすべて、地震情報です。


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