ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

あれも天使、これも天使

2021.02.03 看護士が火・金とやって来て、すっかり自力では排便できなくなった妻の下の世話をしてくれる。
介護度5の家にやって来る看護士は、検温血圧酸素測定など体調管理のきれいな仕事をするだけの存在ではない。
業務だとはいえ、尻の穴から便を掻き出すのは並大抵の仕事ではない。
感謝こそすれ、現在のコロナ渦の中で介護従事者に対して誹謗中傷があると聞くのは、人間のさもしさを見ているようで残念なことだ。
看護士が浣腸して溜まった便を掻き出すのだが、それは肛門を広げる行為でもある。
肛門が完全に閉じられて落ち着くまでの間に、時々、待ちきれない無礼者が後追いでやって来る。
夕食をして食後の服薬を済ませたばかりの妻が声を出した。
「ごめんね」
「何」
「出ている」
「ああ、そうか。匂っていないようだが……」
「出ている。替えるのは後でいい。しばらくテレビを見ている」
しかし、出ているのなら、そのままでは落ち着かないだろう。
オムツ交換に入る。
むろん、妻の感覚は正しく、便はそれなりに背に回って出ている。
看護士が取り残したのではない。
腸内に溜まっていたものが押し出されて来たのだ。
当初は便秘用のくすりを処方されていて、それはすなわち軟便にして出やすくするためのものであって、トイレに行けない者にはオムツの中に出すしかない。
最初にそれを見た瞬間には、頭が混乱した。
糞まみれ、という表現がある。
まさに、うしろの背中から前の膣、女の龍舌まで糞まみれになっていた。
それが毎日つづくので、ついにくすりを飲ませないことにした。
自然便に任せたために、看護師が週に二度来るようになって処置している。
この時の情景と心理を小説にしたのが「看護とヘルスは菩薩の仮姿」、
アマゾンもそのタイトルでは審査基準に触れたようで別のタイトルになっています。


この日、珍しく友人の一人から、メールがあった。
ブログ「都之隠士の介護日誌」を愛読している、と。
複雑な思いがなくもないが、何であれ、人と話をするのは元気が出ます。