ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

明け七十七歳、静かな正月を迎えた。

2022.01.01 

旧年師走いっぱい、かつてない小説書きに専念できた。
家の用事、その合間に机に向かっている。
いや、小説書きの合間に、室内床拭き、玄関扉、門扉などの水拭きをして清々としている、と言った方が正しい。


昨年は妻と二人で正月元旦を迎えた。
何があったわけでもない、雑煮を作って妻に食べさせた、老夫婦で過ごした終の正月になった。
今年は息子と同居の新年だが、息子は夜遅く帰り、朝も起きたらすぐ出かける。
彼は自分の起した不始末のために、4、5年は身を粉にして働かなければ、自由に身動きできないだろう。
大阪を引き上げて来たとき、事業負債を抱えており、決して帳消しにならない税金滞納も多額にあり、同棲の女とも別れたようだ。
今の親父に余力はない、金は天下の周りもの、陽の気時至れば、財にも女にも恵まれると信じる他ない。
娘は近くに住んでいるが、マイペースで生きている。
都内の子供向け出版社の絵画部門、イラストレーターとして働いている。
20代半ばの頃、面と向かっては話しづらいと、手紙を書いて切々と訴えた彼女だ。
かなり独特な世界観を持っているので、好きにさせて親が口出ししないようにしている。


そのような家族環境に囲まれて、迎えた現在の自分の立ち位置。


第38回 太宰治賞「鏡の中の、二某」160枚 12月6日応募
     9世紀、天平時代の庶民夫婦の愛情物語
第68回 江戸川乱歩賞「屁のようなモノ」498枚 1月1日投函
     14世紀、ゑの時代から、枯山水に至る、若い二人の希望物語
第35回 小説すばる新人賞 「芻狗は焼かれないだろう」296枚 1月1日投函
     5世紀、朝倉大王タケワタルと案山子クエビコのガチ物語


計1000枚の老者の渾身、いずれも現代に関わりのない小説であるが、どれか網に引っ掛かるのではなかろうかと、天命を待つ、心境です。
締切にはまだ日数がある、江戸川乱歩賞1/31、小説すばる新人賞3/31、なのに、元日に投函したのは、云わば、今年一年を験担ぎする、初詣のようなもの。
ペンネームは別立て、4月になって上記タイトルが最初の網の目をくぐり抜けているならば、この先に望みありで、ヨッシャー、イラッシャイ、となる。


生き急ぐことも死に急ぐこともない、やることをやった、気持が軽やかになっている。
今朝、テレビ朝日の富士山ご来光をスマホ撮り、三が日、テレビで箱根駅伝を観ながら、本の虫干し(かっこつけて)する予定です。

Muragonを観ていて、やはりブログは面白いなと感じている。
面白いものには目がないので、自分もまたぼちぼち更新して行きます。
ご愛読よろしくお願いします。

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