ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

近頃の、とりとめもなき徒然の

2021.12.03
この1週間、いろんなことがあった。
11月20日過ぎてから、喪中につき新年賀はがき辞退の挨拶状を送り、
今年初めに妻宛てに来た年賀状の住所を頼りに送った中で、すぐにショートメールが返って来た人は、学生時代に妻と一緒に台湾旅行に行った、中高と同じ、こちらの家にも一度遊びに来てくれたらしい、同窓生だった。
年末に仲良し同士で会うときに、妻のことを話して偲んでくれるそうだ。
馴れぬスマホのキーを打って、丁寧に礼を述べて返した。


喪中はがきを見て、すぐに電話をくれた友人も幾人か居る。
その一人、家族ともよく知っている、自分の上京してからの友人で、
30日に箱根の温泉に一泊している間に、不在の宅配便が届いていて、帰ってから連絡すると大きな荷物だった。
それがこの生花だった。
いつも話題に、妻の事を心配してくれていた、一つ年下の友人だった。

箱根の温泉は、奮発して高い旅館に泊まったので、夕食朝食、貸切り露天風呂、室内露天風呂と、75年の生涯で初めての贅沢三昧だった。
妻は自宅の風呂にも入るのに苦労していた。
男・女、別々の入浴場で、一度、転倒したことがある。
他の者から助け起こされたが、あまり気持ちのいい体験ではない。
坂道を上った貸切り露天風はムリ、元気な頃に、今回のような室内露天風呂があるような旅館を見つけてやればよかったが、その頃は、そんな気が廻らなかった。
やはり、薄情であった、のかも知れない。
箱根一泊旅行は、また後日にブログします。

今日、12月3日は以前から決まっていた、階段のリフト取り外しに業者が来た。
15年ほど、妻が二階の昇降するために、新たに取り付けた。
いずれその必要が来ると、家を建てる時に、階段スペースを広く用意していた。
それが無くなり、一つ、妻の思い出が家の内から、消えた。

箱根ひとり旅は、普段に無い景色を見たので、頭の中がクリーンナップされた。
小説原稿も、不満が一掃されて、最終の完成形を見た。
ムラゴン村の皆様に貰った、おくやみも、自分の励みになった。
来年の5月に結果発表、その前の予選発表を待ちたいと思う。