ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

あら、どうかしたの?

2021.11.11 
夢を見て、目覚めた。
深夜、午前3時ごろだった。
広い会場の壇上で、誰か、女の人が聴衆に語りかけていた。
遠く過ぎて、顔まで見えないが、知っている人であるのは、その会場のうしろの方に自分が居るので分かる。
自分は、そのとき、壇上の女の人に随いて来ていたのだ。


壇上で語っていたのは、自分の妻だった。
いつの頃であったか、相模原市の福祉協議会の方から、体験者の話を聞きたい、という誘いがあり、誰からの推薦であったのか、妻は人前で話すことを何とも思わない、度胸の据った女だったので、呼ばれるままにその日の大会に出席したのだった。
人前で話すのは、何であれ、晴れ舞台であろうから、精一杯のおめかしをしていた。
杖はついていたが、自分の足で歩いて登壇していた。
何を語ったか、20代の後半からリュウマチを発症して、結婚し、子供に恵まれ、それはたぶん、その歳までの思いの丈を余さず語ったものだろう。
500名ほど入れる会場の、多くは近隣の福祉に携わる人たちを、たぶん魅了した、
腰を下ろすと、介助者の手助けがないと一人では椅子から立ち上がることができない、その姿に惜しみない拍手が送られていたのは当然だろう。
「外で待っている」と話した自分の姿が、人ごみに隠れるようにして会場内にあったことを、妻がいつ気づいたか、
帰りの車に乗せる時に、自分の目を覗き込んで、
「あら、どうかしたの?」と声を出したことで、妻のユーモアが解ろうというものだ。


昨日も、いつものように花を手向け、線香をくゆらし、御供え物をしていた。
しかし、昼間の10日が、妻の月命日だったことを自分はすっかり失念していた。
数日前から、再び、応募した小説の再編、再考に取りかかっていた。
不備が多く見つかり、またやり直し。
直球一本やりになり、それに意気込み、妻の命日はふっ飛んでいた。
それで、深夜の夢に、妻がノックして現れたものだろうか。


あしたのことは、誰にもわからない。