ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

傍で、一緒に寝てやればよかった。

2021.07.25
昨日はいちにち、ボーとして過ごした。
オリンピック開会式をフィナーレまで長時間観て、頭が昂奮して、ほとんど眠れなかったのもある。


ジュエとよく遊んだ。
家に来た当初は、階段の下で吠えていたが、現在は上り下りとも素早く後を追ってくるようになった。
毛が伸びきって、家中、落として行く。
長男がアニマルサロンに連れて行き、短く刈ってもらったので、裸の羊のようなつるつるになって、最初は驚いたが今は見慣れた。
ジュエはカミナリが鳴り始めると、烈しく興奮して、何にでも上ろう、隠れようとして、そこら中をひっ散らかす。
大阪のマンションに居た頃、近くにカミナリが落ちたらしく、それ以来、狂気になって暴れ出す、興奮して過呼吸になって、震え出す。
抱きしめてやっても、とにかく逃れようとしてどこか安心の場所に行こうとしている。
現在は、ドアを開けっぱなしているトイレの便座の奥の隅か、風呂場の浴椅子の陰かに逃げ込んで、じっと悪霊の通り過ぎるまで耐えている。


カミナリの季節は終わり、連日の猛暑日、さすがにクーラーをつけて、一階の和室の畳の上にタオルケットを敷いて、大の字になって昼寝をする習慣になった。
長く、畳の上に直接身を投げ出すことはなかったので、はじめは背骨の収まりが悪かったが、それも刺激になって、調子よくなった。
天井の板目など見つめていて、考えればそこには妻の介護ベッドを置いていた。
妻は毎日、その天井の板目を眺めていた。
結婚して以来、いつも同じ寝室で起居していた。
介護ベッドになってからの、三年ほど前から、妻は一階、自分は二階、と別れて寝た。


天井の板目から視線をリビングに向けると、そこに妻の仏壇が見える。
仏壇の上に、独りでは寂しかろうと、家族四人の写った遺影写真が飾ってある。
介護の者たちの出入りがなければ、リビングに自分のベッドを持って来て、あるいはそこに布団を敷いて、一緒に寝ながらよもやま話をしてやることもできた。
そんなことを、ふと思ったりした。


写真は