ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

「あなたは厚情の人だ」と褒めてくれている

2021.07.11
昨日、妻の仏壇がハセガワから納入されて来た。
妻が亡くなって丁度ひと月、早いのか遅いのか、
一つ一つの事を、のろまに処理して行くと、この日になった。
何事も、テキパキがいいわけではない。
時間をかけて、ゆっくり動いていくのも、妻への人情というものだ。
亡くしたことの悲しみは、消えるものではないが、徐々に薄れて行く。
当初の、深い悲嘆は、もうない。


生前の妻は、よく対比を逆に言う、咄嗟癖があった。
右というところを左、と叫んで、慌ててハンドルを切ってまた切り返す。
大事には至らないし、怒りもしないが、なぜそのように咄嗟の言葉は逆になるのだろうと考えた事はある。
妻に確かめても、本人は、右は右、左は左、と発声しているつもりらしい。
「あなたが間違えて聞こえているのじゃないの?」
それを糺す、つもりはない。


何かの折に、妻は自分を表現して、「薄情だ」ということがあった。
ところが、自分はまったく「薄情だ」と思っていないので、笑ってやりすごす。
妻も、それほど強く非難して言っているわけでもない。
人は、間違えるものだ、とお互いに理解している。


亡くなった者を語るときは、抑えているつもりでも、つい美化したり、賛美になったりしてしまう。
他人目に、ウタテシヤナ、今言葉で、ウザイ、かもしれないが、
生きている間には、美化も賛美もしたものではないから、その反動で、もっと妻を飾ってやりたという気持ちが強くある。
妻の、自分への表現「薄情だ」は、咄嗟癖の言い間違いであって、
真実は「あなたは厚情の人だ」と褒めてくれているのだと、仏壇に線香をあげながら、妻に語り掛けていた。


写真は