ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

美しい国、ニッポン、ヤポネーは

2021.06.29
昨日は奇妙な体験をした。
ここのところ、眠りが浅く、2、3時間の睡眠しか保てない。
寝た、起きた、を繰り返すので、いつも頭に靄がかかっている。
昼間、サテライト事務所に妻の年金停止手続きに行き、前日、すべての必要書類を揃えていたのを確認したはずなのに、いざ提出の段になって一枚の書面が無いのに気づいた。
妻の死亡診断書、だ。
除籍になっている戸籍謄本はある。
それで、妻の死亡は確認できるのではないかと主張したが、それでは不備で、後日の予約をさせられた。
家に帰り、机の上、抽斗、もしやゴミ箱の中と探したが、どうしても見つからない。
役所に届けている原本のコピーはもらえないのかと、いろいろ掛け合ってみたがどれも無駄で、結局葬儀社に電話して、コピーのコピーを届けてもらうことになった。
何か、無駄な動きをして、落ち着かない、一日だった。
これが妻ロスの、老人鬱の始まりか。
そんな一日であったのに、昨晩は夜10時に寝て、朝の4時過ぎまで、まったく目覚めなかった。
寝る前に見た、ブログの中に、見覚えのあるアイコンを発見して、それが何か、命の懸け橋になってくれたのかもしれない。
今朝、すっきり覚醒して、雨の音を聞きながら、キーに向かっている。


どうも、ブログの風が読めない、方向性を間違えているような気がしている。
何のために書いているのか、誰に向かって発信しているのか、
妻のノートを見つけたときは、非常に感情が高ぶって、妻のために何か書き記してやらなければならないと考えていたが、日にちが立つにつれ、それほど熱くもなくなっている。
40年以上も前の当時と、現在の世相が、あまりに離れすぎているからだ。
当時の悩みは、悲しいかな、今では笑い話にもならない、
それを是とするべきか、世は良き方向に進んできたのか。


妻の悩みは、自分の悩みでもあった、
そんなことをここで明らかにしても、何の意味もない、センチメンタルジャーニー、只の物笑いになるだけだ。
その思いは、ずっと持ち続けていた。
妻の実家が、自分には不相応な富裕であったと明かしたのは、それは別の何かを言いたいがための、自分特有の目眩ましであると、誰が真意を覚ってくれようか。
ここはそのような、騙し合いの場所ではない。


Yahoo ネット記事を目にしても、熱をもって、見ることができない。
実にくだらない事件を並べ立てている、薄っぺらな人間ばかりが目立つ世の中になっている、
美しい国、ニッポン、はどこに行ったのか。
まったく、厭世主義にでもならなければ、安心して深呼吸もできない。


妻、楊玉新は無一物の自分と一緒になった。
父親は寡黙で、多くを語らない、お大尽のソファーで、どこか遠くを見ていた。
母親は終始笑顔で、何かと自分に気を遣って、立ち動いていた。
兄弟たちは、妹の婿を値踏みしながら、しかし決して拒絶していなかった。
その時、自分は思ったものだ。
小さなファミリー、ゴッドファーザー、コルネオーネ一家にやって来た、ヤポネーは、どうやったら一家の一員に受け入れてもらえるか、
本気でそんな漫画チックなことを考えていた。


写真は、