ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

雀百まで、 灰になるまで、

2021.06.22
昨夜10時直前に、風呂上りに見たNHK番組、名前をメモしていた。
亀山耕平、32歳、オリンピックを目指している体操選手らしい。
ちょうど、あん馬から落ちる映像が流されていたので、当落線上にない、メダルに届かぬ選手の苦闘を追っていた。
その亀山選手の言葉、


「どうして体操をしているのかさえ、わからなくなっている」
「ただ、意地で体操を続けている」


体操の世界では、32歳はもうロートル、可能性は絶望的なのだろう。


gooWiki 日本のスポーツの世界では、しばしばロートルという言葉が使用された。意訳して「役立たず」「時代遅れ」等の否定的な意味合いで、中心選手から外されても、いつまでも現役にこだわるベテラン選手を指して使用された


ついでにロートルとは何語かと調べたら
ロートルは、中国語で年寄り・老人という意味の老頭児、拼音: lǎotóur、という語を由来とする単語。中国語の発音としては「ラオトウ」あたりの方が近く声調も上下するので、日本人が普通に「ロートル」と発音しても中国人には通じない。


この説明文で、なんと自分という人間がすべて言い表されているようで、驚き、呆れ、感心した。
しかし、また別の言い方もある。
雀百まで、
灰になるまで、


体操選手は30を越えるともうダメだろうが、自分の場合、肉体美を競うわけではないから、頭さえしっかりしていれば、精神美を競うことはまだできる。
頭が耄碌しても、それを逆に売りにして、書いていくこともできる。
恍惚の人、と描かれるのではなくて、恍惚の人、となって描いていくのだ。
また楽しからずや、とすぐに茶化すので、
「ダメだ、こりゃ、壊れかかっている」と見られても仕方がない。


写真は、わが家の招来神ジュエ