ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

妻ロスの、悼みだろう

2021.06.17
パソコンに向かって頭を使うのもいいが、それだけだと心身に滞りができる。
月曜日に打ったコロナワクチン接種のせいか、左肩に少々のコリがあった。
それを押して、病院に妻の残留物を引き取りに行ったので、思惟にムリをさせてしまった。
きのうは終日、ぼんやりとしていた。
妻のことだけを想っているわけではないが、レンタルしていたエアーベッドなど福祉用具の引き上げに来てもらって、部屋が空になったあとを掃除して一服しているときに、胸の苦しさを感じた。
大きな深呼吸を、何度もしていた。
妻ロスの、悼みだろう。
愛する人を喪った、愛玩動物を失った、生きていた者がもう決して帰って来ない、その悲しみを誰しも乗り越えていかなければならない。


こんな文を書いていると、涙が流れて来る。


今日は雨の一日になりそうだが、電車に乗って、中央線武蔵小金井駅に降り立ち、記憶を頼りに、妻と知り合ったM診療所の辺りを目指して歩いて来ます。
心の旅路は、閉ざされた闕所に向かわせてしまう、が
身の旅路は、開かれた空間に導いてくれる、はずだ。


皆のブログを見ていると、人それぞれの観方、感じ方が伝わって面白い。
ねこちぃさん、昨日の着物の前を開いていた絵、あれは風通し? 立ちション?


写真は、しばらく妻を偲ぶ

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