ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

夫婦は、元は他人だが、長年培って、兄弟よりも濃い関係

2021.06.04 宅急便でメロンが届けられて、困ったことになった。
大阪の妻の姉から、時候の挨拶で送られてきたものである。
口にしなくても美味しい、メロンをもらって、困ったはないが、しかし、弱った。
お礼の電話をしなければならない。
妻のことを話題にしないわけにはいかない。
「スーの状態はどう? その後変わりはない?」
そう問われて、妻に電話を替わるのだが、今回は側に妻の姿はない。
「はあ、実は4月の初めごろから入院しているんです」
「あら、そう。今度は何で入院しはったの?」


妻の状態については、大阪の兄弟の中で義姉に一番気を遣ってもらっている。
義姉に嘘をつくわけにはいかない。
足の褥瘡が点滴治療ではどうしても治らず、その先の決断をした。
「今週の月曜日に、手術したばかりです。膝から下を切断した」
「あら、どちらの足?」
「残っていた右足」
「そう、どちらも失くなったの? スーも可哀そうなことになった。都之さんにも大変なお世話をかけます。見舞いに行ってやりたいけど、今は動けないから」
「病院も病室には入れないんです。電話で声を聞いてやるだけです」


妻の兄弟は、長女(義姉)、長兄、次兄、本人、弟、と有る。
いずれも情が深い、人間関係を築いていると言える。
その兄弟たちから時折、挨拶の電話はかかってくるが、妻から電話をかけることはほとんどない。
これは年を経て、物憂くなったばかりではないような気がしている。
妻から、兄弟に向かって、
「どうしている? 元気でやっている?」の問いかけはないのだ。
スーに比べれば、皆、健康体だ。
兄弟と言えど、凭れるのは気が進まない。
勢い、夫である自分に、なんでも言える。
夫婦は、元は他人だが、長年培って、兄弟よりも濃い関係になる。
そろそろ、足の無い感覚を自覚するようになって、
「パパ、なんか、変よ」と電話がかかってくるころだろう。


写真は、