ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

雲間から一条の光が落ちて来た

2021.05.23 天候のせいか、気分がどうもシャキッとしない。
午前中に病院に行き、例によって爽健美茶4本を届けた。
考えれば院内ファミマで購入した、ペットボトル4本で、かろうじて妻とつながっている。
土曜日で病院内は人影も少なく、森閑としている。
9Fまでエレベーターで上がり、看護士に手渡し、妻の他の欲求の有無を確かめて、
「何もないそうです」
わずか5分で外に出ると、一時間に一本のバスはギリギリ間に合わず、出発したばかりだった。
タクシーはむろん、所定の乗り場で待ち構えている。
最寄り駅まで2200円、バスは260円、自転車を漕いで行けば0円だが、空模様を考えて電車・バスに乗って来ていた。
18歳で免許を取り、今年の初まで57年間、ずっと車の運転をしていた。
よくも免許証返納する覚悟ができたものだ。
それもたぶん、高齢者の運転過失事故が毎日のように報道される、のを見るにつけ。
あれは昔のマニュアル車なら、構造上、決して起こらない、アクセルとブレーキの踏み間違い。
二つの動作には歴然とした段差があり、ノッキングでガクンガクン、エンストになってブレーキを踏まなくても車は止まる。
最初にオートマに乗った時の違和感、足の置き場の頼りなさ、便利さはそのまま、今になって高いツケを払わされている。
他人の非難をするのではなく、わが身に置き換えて、
事故は車のせいで起こったと、あくまで免責を主張する、老残にはなりたくない。
人間はいつまでも、若さを保てない。
秦の始皇帝でさえ、不老不死を求めて、人生50年で死んだ。
私鉄線に向かうバス便があったので、それに乗ってぐるりと回って家に帰って来た。
ここ数日来の雨の滋養で、庭の、ただの緑葉が大輪の花を咲かせていた。
驚きで、ちょうどこの時、雲間から一条の光が落ちて来たのは出来過ぎか。
部屋に入り、見やったアナログ時計の針は、ぴたり中天を指していた。
「ジュエ、帰って来たよ」
待ち人があるのは、何であれ、いいものだ。


写真は、名も知らぬ、美しき大輪の花