ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ウグイスの鳴き声で目覚めた

2021.05.22 昨晩、寝る前に考えていたことが、朝の目覚めとともに消えてしまった。
ウグイスの鳴き声で目覚めた。
川向こうの、竹林の方に巣があるのは分かっている。
遊歩道を散歩しているほとんどの人がその音色に聞き惚れて、一度は足を止める。
すると、いっそうけたたましく、ケキョケキョホーケキョと鳴いてみせる。
ああやって訓練して、短いケキョから長い韻列のホーホケキョと鳴くようになる。
20年以上も、今の時期、ウグイスの啼き声とともに朝を迎えていたが、昨年、川のこちら側の空き地に家が並び建ったので、壁になってホケキョも届けにくくなっただろうと思っていたことも忘れていたら、今朝、突然にその声を聴いた。
ピーヒーキョ、ピーヒーキョと聞こえるから、まだ若鳥だ。
そうやって美しい ホーホケキョ! になるまで毎日咽喉をふるわせていく。
ホーと長く伸ばして、次のホーケキョになる間合いの素晴らしいこと、真似のできるのは猫八先生ぐらいのものだろう。


ここまで書いて、昨晩何を考えて今朝に備えていたか、思い出した。
ブログを読み、二度読みもして、足らなければコメント欄まで掘り起こして、わかったことがある。
みんな、わきまえている、瞬間湯沸かし器にはなっていないな、と思えた。
そのときの気分次第で、ついコメントしたくなる文章に出くわすことがある。
茶々になる、余計なお世話だ、逡巡して深く悩むこともある。
ブログはその人の内なる声、こちらが勉強させてもらうことの方が多い。
応援したくなることもあるし、反応してあげたいと考えることもある。
ただ、アラシになることだけは避けようとしている。
昨日は両国の名花探しで、テレビの取り組み画面の向こう側ばかりを注視していて、肝腎の力士の勝負は二の次になった。
生涯現役一筋、その心意気や尊し、野村監督の月見草、太宰の月見草、美しいじやありませんか。
よく見ると、名花のハンドルネームは uguisu79 だった。


写真は高野山、