ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

文人は小さな墓碑であってほしかった、

2021.05.21 自分はあまりイライラしない人間のつもりだったが、そうでもなかった。
昨日は、コロナワクチンの接種予約のために、朝8時半から時間を見ては電話していたが、結局はつながらないままだった。
WEBからもできるとなっていたが、自分のやり方が間違っているのか、最終的には同じ電話番号にかけて、協力医療機関と予約日を確認することになる。
「こちらはソフトバンクです、只今電話が込み合っています、……」何度やっても、自動応答が流れてくる。
イライラして、噛みつかなくていいものに噛みついてしまった。


いや、順序が逆だった。
先に、ブログを書いて済ませ、そのあと、ワクチン予約に集中した。
そのブログ、深く考えもせず、或る意味、思いつきで書いているので、熟慮が足らないことがある。
ハラスメントにならないように、よくよく表現には気を付けなければならない、


バスに乗ったら、となりの席に、若くてきれいな女の子が座るようにと願う、
柔らかな臀部の温もりに、旅の疲れも吹っ飛ぶ……


なんて書いてしまっていたので、あわてて訂正した。
英語のタイトルも、間違えて解釈していた。
インスピレーション → フラストレーション に訂正した。
もうひとつ、高野山にあった、司馬遼太郎の石碑、自分に関係ないことなのに噛みついてしまった。
贔屓の引き倒し、悪女の深情け、
名もない俗物が、財力にモノを言わして大きな石碑を建てたのではない。
武将たちは流した血の罪滅ぼしに、高野に寄進して、名を遺した。
国民作家、司馬遼太郎は『空海の風景』を書いた。
その縁で、高野山の方からの顕彰碑であったのか。
おそらく、そうであったのだろう。
しかし、文人は小さな墓碑であってほしかった、その浅慮な思いで、大作家に噛みついてしまった。


写真は高野山、