ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

妻の居ない日常生活に飼い慣らされていく

2021.05.10 退屈も通り過ぎると、普通の常態になる。
今回の妻の入院も、早やひと月を越えた。
二週間ほどの点滴入院のつもりが、二倍三倍にもなるのはいた仕方がない。
それだけ厄介な症状であるということ。
一度だけ病室に入れたときに見た、妻の足指は、ジュクジュクとした褥瘡で、指裏には黒い斑点がいくつもできて大きくなっていた。
それから二週間が過ぎた。
簡単に治るとも思えない。
「痛い」をあまり口にしなくなったのは、薬の効きのせいであろうが、治っているのではなくて痛覚がマヒしているだけのように思える。
電話をかけて来る元気もなさそうなので、今日5月9日は母の日、らしいので、こちらから電話をかけていた。
「どうなの」
「なにが」
「痛みはよくなったの」
「前ほどではないけど、痛いのかどうかわからないほどの痛みはある」
「まあ、とにかく、良くはなっているのだ」
「いつまで入っているのか、治るのか、治らないのか、毎日お茶ばかり飲んでいる」
前回までの入院は自由に病室に入れたので、病院食に不足な妻のために差し入れをしていたが、この度はまったくそれができない。
胃腸だけは丈夫な妻から、今回ばかりは、あれが食べたいこれが食べたい、の注文が出て来ないのは、事情がわかっているのだろうとはいえ、そればかりでもないような気がする。
庭のプランターの野菜類が育ってきた。
スマホで撮り、妻に見せてやろうとして、妻のガラケーに送ろうとして、画像を開けるほど手指が器用ではないのに、断念した。
病院に行った折に、看護士に頼んで、スマホを見せてやろうと考えて、またその行いを囃されて「ICTる」になるのも、忸怩たる思いであるので、それもやめた。
そうやって、徐々に、妻の居ない日常生活に飼い慣らされていく。


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写真は伊勢五十鈴川

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