ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

白樺派の「ヘチマ」の絵のようになる

2021.05.09 このMURAGONブログに参加してから、自分の目が開かれたような気がしている。
大げさに言えば、人を見る目、世間を見る目、が変わった。
以前にどなたかのブログに


井の中の蛙大海を知らず
されど空の蒼さを知る


があった。なるほどな、感嘆したものだ。
そして、ネットを開くと、実に多くの人が「井蛙」についての考えを述べられている。
参考になることもあるし、同じことなので、パソコンの×を押して次に移ることもある。
十人十色というけれど、たいていは皆、同じ意見に染まっている。
テレビの街頭アンケートなどで、現在のコロナ状況、政治状況について意見を求められると、たいていの方がいわゆる専門家・識者・コメンテーター・アナリストと言われるお方の発言をよく聞いておられて、自分などマイクを向けられると「うるさい!」になってしまう。
このアナリストという言葉、最初耳にしたとき「アナル」を思い浮かべて、「アナリスト? お尻愛好家?」と思ってしまった。
なんでも横文字にして、中身を曖昧にするのが、得意な連中のしそうな事だ。
分析、評論家、という意味らしい。


そこへ行くと、MURAGON村の方々は、実に個性豊かだ。
今朝現在、1021422サイト全部を見れるわけではないが、1021422色、であるような気がしている。
それを知って、自分も目を瞠かれた。
妻と同じ、リューマチ・膠原病のお方の日録を知り、難病指定のお方の介護録を知り、なんだかんだと言いながら、己が人生を愛されている、泰然として動かざることの、可笑しさと愉しさを知り、
ついには白樺派の「ヘチマ」の絵のようになるのではなかろうかと、それもまた「善かな」と思ってしまいそうで、つい笑ってしまった。


写真は伊勢神宮