ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ああ、日本のどこかでわたしを待っている人がいる

2021.05.07 昨夜のNHKテレビで、「いい日旅立ち」「シクラメンのかほり」を、裏話とともに見て、実に感動した。
特別に誰のファンというわけでもないし、たまたま聞いたらその歌手のファンになる程度の演歌好きだが、山口百恵の「いい日旅立ち」は、あれはいつ聴いても涙腺がゆるんできて、いつしか頬がぐじゃぐじゃになってしまう。
あの何とも言えない、細っそりとした顔に、どこか不機嫌そうにも思える薄い唇から漏れ出る、透明な歌唱力、
曲がそうさせている、そこに詩がかぶさる、まさに名曲だ。
谷村新司が出て、若いころの写真と並ぶと、表現に困る微妙な感慨が湧く。
「いい日旅立ち」の制作者の裏話として、スポンサーの日立と国鉄と旅行の三社を混ぜ合わせた云々は、知らなくてもよい、テレビのサービス過剰だろう。
せっかく、
ああ、日本のどこかでわたしを待っている人がいる、
に、感情が高揚して盛り上がっているのに、手品の種明かしをされて、悦に入れらているようなものだ。
それにしても、この、日本のどこかでわたしを待っている人がいる、は自分の物心ついてからの深層心理をぴたりと言い当てている名文で、その思いが75歳の現在も続いているのはどうしたものか。


次に「シクラメンのかほり」になった。
布施明の独特の粘着性ある歌唱は幾度となく聞いて知っている、改めて聞き惚れたが、現在77歳になるという小椋佳の、初めて聞いた独唱は、感動的だった。
妻は小椋佳のファンだったから、この場に居たら喜んでいただろう。
病院の個室にもテレビはあったが、一人では見ていないと思う。
77歳の小椋佳に感動して、75歳の自分も、うろ覚えに口ずさんでいた。


♪真綿色した シクラメンほど 清しいものはない
 出逢いの時の 君のようです


写真は、万葉かぎろひの丘

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